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ラットレースが無意味なのは50年前に既に指摘されていた

 金持ち父さんの本で有名なロバート・キヨサキ、彼は金持ちになるためには、そのための勉強、資産を買うことが最重要だと主張した。そして『いい大学、いい会社』を追い求めみんなで競争する”ラットレース”から早く脱却するよう本や他の関連CDなどで述べていた。アメリカ人でもそうだが、日本人の場合はなおさらラットレースに夢中になりすぎる性があるために社畜になりやすいのでは?と僕には思えるのだった。

とある古い雑誌を紹介しよう。”暮らしの手帖”という雑誌で1948年(昭和23年)に創刊され、1970年代以前に主婦層にかなり売れていた雑誌である。
k1.jpg


小さい頃母が読んでいて、幼い私は絵本より面白いと思ったくらいで、子供ながら面白がってよく読んでいたものだ。昔の古本は大人気で40歳代以上(男女問わず)に売れている。幼い頃母親が買っていたのを読んで、今古本として購入しているのだろう。僕自身も”暮らしの手帖”の古本をヤフオクや古本屋で数年前から購入していた。その中で興味深い記事を見つけた。

暮らしの手帖 第1世紀 76号、1964年(昭和39年)秋号
1964年と言えば東京オリンピックが開催された年であり、僕が生まれる4年前にあたる。もう半世紀も前なのだ。以下がその記事になる。
mountain.jpg


よじのぼりたがるくせ 日本人なくてななくせ 笠 信太郎
この夏のある日曜、富士登山者の数が記録を破って2万人を超えたそうです。

(昨今では30万人である。現在よりはるかに少なかったことがわかる)
以後登山について書いてあるので略

ひとの一生とは、ただひたすら頂上を目指す山のぼりでしょうか

中略

私たち日本人は、どうも高いところによじ登ることが好きだというか、いや、好きというよりは、いつもそうしないではいられないというくせがあるのではありますまいか。これが、問題だと思うのです。ところで、高いところへ登るくせということになりますと、いろいろなことがあります。だいいち、誰も彼もが、大学にやりたがるのを思いだします。日本人はたいへん向学心に燃えているんだという解釈もあります。確かにそういう点がないとは言えません。しかし、それなら、勉強は自分のことですから、どこの学校でも、どこの大学でも、それほど変わらないことで、要は自分の覚悟と気の入れ方にあります。

中略

ところが、実際は、そういう風でなく、何が何でも名前のある学校でなくちゃいけないというんです。できることなら、一番著名な国立大学でなくちゃ我慢がならぬというのです。

なぜ有名大学でなくてはいけないかというと、いい大学には立派な学者先生たちがいるからというよりは、むしろ、その名の大学を卒業すると、えらい人になれそうだから、そして、世の中の一番高い所に登れそうだから、お嫁さんもいいところからもらえそうだから、ということのためのようです。正直いって、10ちゅうの八、九、いやそれ以上の人が、そんな風の考えておりましょう。そして、その考えを実現するためには、ご存じのとおり、まず幼稚園からしていいところを選んでおかねばなりません。

中略

そこで4歳の園児が、いや園児ではなくてその親たちが、幼稚園の頃からはるかたかい頂上を眺めて××大学や△△大学に狙いを定めているというわけです。かくして、日本人の長い人生の山登りがはじまります。みんながそうですから、道はもうひとごみで、押すな押すなは富士登山どころの騒ぎではありません。上級の学校になるほど、入学試験はひどいことになります。それは人死(恐らく死人の間違いだと思う。ミスプリントだ)が出るくらい狂気じみたものになっています。ここでも場合によると大学へ行こうとする本人ではなく、その親たちが小学、中学から大学への山登りをけしかけるのです。

以下はまだかなり長いがここらでやめておこう。
それ以降は、ドイツ人はこうイギリス人はこう、アメリカ人はこうという具合に進み、日本人の特性が書いてあった。さらにそれが日本人の変な集団主義に結びつき、働きすぎという現象になるという。それが昨今(当時は1964年、東京オリンピックという高度成長まっただ中だった。)の経済繁栄につながっていることは著者も認めていた。しかし、本当は色んな生き方があるはずなのに上へ上へと向かう生き方、恐らく受験だけでなく、就職競争、出世競争なんかもそうだろうが、そればかりの人生では虚しいよと著者は書いているのである。なかなか真理をついていると思う。著者は終盤で『イギリス人は、常識人と変わり者が同居している。社会的にはきちんとした常識人だが、個人ではわが道を行くといったタイプが多い(まさに僕のような人間である)。日本では皆が皆、山に登ろうとするので、イギリスとは正反対ではないか?』とも指摘しているのである。

僕自身は日本人の誇りを持っているし、文化にも誇りがある。しかし、上記のような国民性や労働環境、体罰などの小暴力に寛容な一面は、どうにも受け入れきれず、体に合わないのだ。日本人は精神性が高いと言われる。あの3.11の震災のときも暴動など起きず海外から絶賛された。国内でも日本人は精神性の高い優秀な民族だという声が上がったが、どうもそれが信じられない。上記の事から判断すると日本人は精神性が低く、精神的に全く自立できてない(自己が確立できない)のが明白である。体罰やしごきは精神性が低いから発生する現象であるし、精神的に自立できないから他人と同じことばかりしないと気が済まないんじゃないか?
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プロフィール

たけじろう

Author:たけじろう
1968年福岡県久留米市に生まれる。家族は妻と二人。

好きな言葉『俺が常識』『妬ませる』『思考は現実化』『成功』『好きこそものの上手なれ』

嫌いな言葉『滅私奉公』『協調性』『和の精神(同調圧力のこと)』『権利を主張する前に義務を果たせ』

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